サンキング開発ヒストリー

  • (その7 時代は変わる)

10代、20代の頃、僕は海が好きで毎年真っ黒に日焼けをしていました。 とにかく焼きたい一心で過剰に焼き過ぎ、火ぶくれになり熱射病にうなされたことも何度かあります。 随分無茶な事をしたものだと思います。

僕が若い頃、夏は小麦色に焼くと言うのが一種ステイタスでした。 男子だけでなく女子も小麦色の肌がもてはやされました。 以前のヒストリーでも触れましたがS社の夏のキャンペーンは1966年に始まり、 夏と言えば小麦色キャンペーンが1980年代まで続きました。 キャンペーン・ガール小野みゆきは「ナツコ」で、「クッキー・フェイス」は夏目雅子、 様々なモデルが小麦色に焼いた肌でメディアに登場、大量のテレビスポットで「小麦色の肌」を競い合いました。

その頃、父はS社で「光と皮膚」「光過敏と光防御」「日焼けによるシミ、シワ」についての研究していた訳です。 つまり「夏の日焼けキャンペーン」とは矛盾する研究に従事していたことになります。 なぜなら父の研究は、極端に言えば紫外線の浴び過ぎに警鐘を鳴らす研究でもあった訳です。

しかしながら70年代と言う時代は高度経済成長期、言わば世を上げてイケイケの風潮、そんな時代でした。 まだまだ一般人も企業も「紫外線」と言うものにそれほどナーヴァスにはなっていなかったように思えます。

1981年、父が「特定波長光線による皮膚障害性の研究」」=「光過敏症」の研究で科学技術庁長官賞を受賞した頃から 「紫外線」の問題が少しづつ取り上げられ始めました。 ところが80年代はバブル全盛期。株価の急上昇、円高の進行で多くは景気に浮かれ、海外渡航やレジャーにおいてもクルージングで海を楽しんだり、 はたまた日焼けサロンなるものまで登場、まだまだ日焼けブームは続いていました。
そんな時代に翳りが見え始めたのは80年代後半でした。公定歩合の引き上げ,税制の見直し、土地関連融資の規制等が行われ株価や地価は急落しバブル崩壊が始まります。 いきなり陽の当たっていた日本経済は消費低迷を招き、倒産が増加、まるで陽が沈んだかのように長期景気低迷の時代に突入します。
不思議な事ですが陽の当たらなくなった社会情勢と比例し、 太陽賞賛と言う化粧品会社による「夏の日焼けキャンペーン」は終焉を迎えます。

それは紫外線の肌に対する影響が世間一般に定着し始めた時期とも重なっていました。 時代の流れははサンスクリーン、UVブロックと言う方向に傾き、化粧品会社の広告は「夏の日焼け止めキャンペーン」が主流になって行きます。 父が導入したSPFの概念(数値)があちらこちらの日焼け止めパッケージで表記されるようになっていました。

僕も気がつけば、いつしか学生の頃のような日焼けは拒否し始めていました。 父が「40近くになったら男も日焼けは注意しろ」と言ったのが発端です。 「年齢を重ねた人が紫外線を浴び過ぎるとシワやシミの原因だけでなく白内障や角膜炎など眼性疾患やDNAにもダメージを与えると言う説がある」 健康に関しては妙に僕は慎重です。80年代半ば頃から、夏場に海へ出かけても、もう僕は昔のような無茶な日焼けは避けるようになっていました。

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